妖怪シリーズ:羅城門の鬼(茨木童子)

この伝説にも沢山の興味深い説があります。そしてこの夏、私は京都の歴史博物館を訪れてそこで多くの絵巻物を見ました。それらは過去に私が描いた妖怪などと関係のある物ばかりで大変面白い経験をしました。そのため、今回の京都の話と関連して関係のない事まで色々書いてしまいそうですから自分に「気をつけて!」と言い聞かせないと...

Ibaraki-douji

Ibaraki-dōji, the demon of Rashōmon

The Demon of Rashōmon, Ibaraki-dōji (羅城門の鬼、茨木童子)

これはその名の通り羅城門にまつわる話である。羅城門は平城京や平安京の南端に構えられた大門であり、この配置は中国の風水による四神相応の考え方からきている。東西南北の主要な4地点にはそれぞれ門が設けられ、加えて帝の位置とで5つにそれぞれエレメントが象徴となっている。白虎,朱雀,玄武,青龍(黄龍または麒麟が中央になる)であり、羅城門は朱雀大路の終わり(南門)に位置しメインゲートになる。建設されたのは789年であるが、平安時代の終わりと共に倒壊し治安も悪化していった。盗人や賊はそこに潜伏し、子供を捨てる場所にまでなっていたという。羅城門にまつわる「羅城門の鬼」伝説は、そのおどろおどろしい羅生門のイメージをさらに強烈な物にしている。

今週の初めに酒呑童子の右腕として紹介した茨木童子であるが、多くの伝説によれば羅城門の鬼とはこの茨木童子の事をさしており、これは茨木童子にまつわる大変有名な伝説である。。。

茨木童子についてはそれほど多くの記述が残っていない。それが男であったか女であったかすら曖昧であるのだ。多くの話や絵巻では茨木童子は鬼女か女の鬼として描かれている。

酒呑童子の右腕として活躍した男の鬼、茨木童子の話しもおおくあるが、今となってはどちらが本当かは知る由もない。そしてもう一点、茨木童子はただの相棒ではなく恋人であったという説もあるという。どの説でも共通して分かっている事は、茨木童子は人の世をひどく荒らす凶暴で恐ろしい物の怪であるという事である。

酒呑童子との戦いに勝利した源頼光(数日前のブログとNight Parade:百鬼夜行にて彼について紹介している)は戦いを共にした四天王(坂田金時,卜部季武,碓井貞光,渡辺綱)と共に意気揚々と京へ戻った。しかしある夜藤原保昌から「近頃羅城門に鬼が出るらしい」とう話しを聞いた渡辺綱は、酒呑童子らとの戦いを終えてもなおまだ鬼が残っているという事が信じられず、一人で確かめに羅城門へと向かった…。

門に着く頃ものすごい突風が吹き渡り、彼の馬は恐れてそれ以上進む事ができなくなった。そのため仕方なしに彼は馬から降り歩いて門まで向かうと、何か大きな手が彼の兜をつかんだ。するとつかまれるや否や、綱はすかさず刀を振り上げその腕を切り落としたのである。腕の持ち主であった茨木童子は腕を残したまま逃げ去り、綱は羅生門に棲みつく鬼を追い払うのに成功したのである。

他の説によると、茨木童子は腕を探しに京へ戻ったとされている。取り返す時に茨木童子は綱の乳母(叔母,老婆など色々な説がある)に化けて綱をまんまとだまして腕を取り返し逃げ去ったという。その後の消息は分かっていないが、何年も後にどこかの村などで茨木童子が現れた(または去っていく)姿を見たという話もある…。

茨木童子の伝説は終わるが羅生門の話は続く。京の都が発展するにつれ古い壁はとり壊され、今は跡碑が残るのみではあるが現在もなお伝統芸能の中で語りづがれている。そして黒澤明監督による美しい映画「羅生門」でも門は生き続けている。映画の中に鬼は“出演”していないが、考えさせられる素晴らしい映画である。

現在、羅生門のあった場所では子供たちが遊び回り、人々が何事もなく往来している。かつての恐ろしい出来事など微塵も感じさせないが、私はこの平和な場所に潜む“闇”が好きである。ここではかつて、大きな刀によって鬼が腕を切り落とされたのである...。

Rashōmon Iseki

All that remains of the demon gate…


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